身近な野鳥の代表格、カラス。
知るヒトぞ知る、好奇心旺盛で知能も高い鳥ですが、その反面、敵にまわすと恐ろしく狡猾で、やり放題というイメージもあります。
攻撃性も高く、鳥害を受けているヒトには ”冗談ゴトではない!” のですが・・・。
そのカラス、身近にいつもいるので、見るともなしについつい観察してしまいます。
その生態、といいますか活動の様子があまりにも多様なことに驚かされます。
この日はなんと、雪あそび。
”一方的にそう感じてるだけでしょう?”
というご意見が聞こえてくるようですが、ある程度じっくり腰を据えて観察していると、それは確かに ”遊んでいる” のです。
眺めているとベンチの上に残った、まだ綺麗な雪の上をわざわざ歩いてみたり、端っこの雪をくちばしで掻き落としたり。
私に気付くと、残念そうにその場から退きましたが、すぐ近くで邪魔者が居なくなるのをじっと待っています。
見るからに足は冷たそうですが、そんなに敏感ではないのでしょうか。
人間だったら、素手や素足で雪遊びなんかしていたら、えらいことになります。
■写真 : 雪上の足あと
”遊ぶ” という言葉を考える時、どうしてもそこに何か楽しそうなイメージが伴います。
食べるとか眠るとか、巣を造るとか・・・ そんな云わば一次的な欲求を満たす本能からくる行動とは別のもので、好奇心からくる生きる上で必要無さそうな行動。
書きながら気付きましたが、今回の雪遊びに限らず、カラスに ”遊び” のイメージがいつも付きまとうのは、”モノ” が対象になっているからかもしれません。
この日の遊び相手は 「雪」 ですが、明らかに食べるためではないものを集めてみたり、屋根をつついてみたり。
先日近所の大きな楠を眺めていたら、突然上から長さ60~70センチはあろうかという、
太い枝が降ってきて、何事かと思えば、上のほうで枝の根元をせっせと削るカラスが一羽。
キツツキでもありませんし、木の中の昆虫を取っているとも思えません。
おそらく木の腐りかけて弱くなったところをつつく事に集中していたら、枝が落ちた・・・
まさにそんな感じなのですが、また新たに次の枝に集中しています。
基本的にヒツコいです。
他にも、たまに目が合えばクチバシに何かくわえている、なんてことはよくあり、
その多くは ”それ、どーすんの?” と聞きたくなるようなものばかり。
そんな姿がどうしても ”楽しそう” に見えてしまうのは私だけでしょうか?
■写真 : 私が去るのをじっと待つ・・・
カラスは真っ黒で、綺麗に写真におさめるのが難しいデス。