翼鏡 群れを導く光

 

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近頃はもっぱらカモたちを眺めていました。

彼らの優しい表情と、美しい姿が脳裏から離れません。

野鳥の撮影は楽しいですが、もっと彼らの事を知りたくなりました。

まあ、お勉強も時には楽しいばかりです。

 

カモたちの写真を撮っていてどうしても目に焼き付いてしまうのは時に見え隠れするひときわ光彩を放つ色羽根。

カルガモでは鮮やかなブルー、コガモは目の覚めるようなグリーン。

繊細で美しい羽衣の中、それこそピンポイントで光り輝く、目の覚めるような光彩。

 

調べればすぐ、それは 「翼響」とよばれていました。

私はもっとロマンチックでフレンドリーな名称を期待していたのですが、翼響とはまたお堅い呼び名です。

「2列風切羽の・・・」とやりますと、さらにつまらない。

 

たまたま飛行機に搭乗して空いていた翼付近の座席を指定したところ、窓の外には長い航空機の翼。

覚えた鳥の羽になるほどそっくりだと思いながら 「2列風切羽根はここだな・・・」 などと、ぼーっとつまらぬことを考え眺めて時間をつぶしておりました。

 

さて、これはカモ類のみが持つ特徴なのか、調べきってもいないまま書いておりますが、カモ類の特徴ではあるようです。

多くのカモは 「渡り鳥」、毎年繰り返して気の遠くなるような旅をします。

「なぜ大きなリスクを負って、そんな事をする・・・?」

すぐに思います。

嵐に遭遇する・・・ 群から脱落する・・・、猛禽類に襲われる

容易な旅でないことは想像できます。

もちろん体に不具合があれば、そんな長旅のミッションを完遂することもできません。

野生は厳しい、甘くない。

ダーウィンの進化論に則して云えば、その様な習性を身に着けた一族が、自然淘汰されてなお種を保存してきたのでしょう。

弱いものは生き残れず、その旅をこなせる強い者たちだけが子孫を残してゆく。

シベリアがそんなに良い場所かと云えば、そんなはずもありません。

猛禽類などいない、都会の池にでもずっといればいいのです。

下手すると毎日のように餌をくれる人すらいるかもしれません。

カモがパンを食べることがあるのかどうか私はしりませんが、少なくとも敵襲は無い。

 

しかし、かれらの本能が群れを旅へと誘います、もうそこに理屈はありません。

いま私の目の前でくつろぐ彼らは、時が来れば北の大地へ向かい旅立ちます。

私たちは 「また来年も、みな無事で帰ってきて欲しい」 と祈るだけです。

 

そこで翼鏡のこと。

どなたかのページに 「一説には群れで飛ぶ時、太陽の光を受けて光り輝く羽根が目印になる」という件がありました。

私はその記事を目にし、衝撃と感動を覚えました。

長旅の中、群からはぐれることは時に、死を意味します。

前を行く仲間を見失ってはいけません。

その役に立つのが、翼鏡。

その輝きは群の結束の光であり、絆ともなりましょう。

 

ところでカルガモくん、長旅しないじゃん・・・ でも美しいブルーの翼鏡。

やめちゃったんでしょうかね、種として。

どうぞずっと居て下さい、一年を通して会えるのはウェルカムです。

といっても、シベリアとはいかずとも移動はするんでしたね、彼らも。

カルガモのあの明るい呑気な表情は、私を心から寛がせてくれます。

 

翼鏡が光を受け輝く飛影の写真って、なかなか見ることができません。

今日のドキュメント映像など非常によく巧みにできていますが、そこは見ていないように思います。

雁の群れに、その視線で迫る映像を見た気もしますが、ガンには翼鏡あったかな?

何でも解明してしまうのは、凡そつまらない事でもあります。

翼鏡にもっとロマンチックな名前が無いか・・・ 私的にはそれで充分です。