島原の乱の一舞台、天草苓北・富岡城

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天草のドライブで、立ち寄ったもう一つの場所、富岡城もご紹介しておきます。
 
日本各地、様々な歴史の舞台が残っているわけですが、ここでご紹介する富岡城も、やはり
江戸時代初期、いわゆる天草・島原の乱における幕府側の拠点となったところ、
 
 『一揆勢の攻撃目標となったが、唐津藩の必死の守りにより落城せず』
 
と城内の説明板には記してありました。
鎖国時代、幕府は外洋に面した富岡城を整備した・・・』 とも記述にありましたが、この城は
天草の島本土から地続きではあるものの、北西の方向へ飛び出す出島のような地形となっており、
長崎半島との間、およそ20キロメートルにも満たない水路を、東は有明海への入口を、
西は東シナ海へと外洋をにらむ、天然の台場のようです。
 
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他の稿 『崎津天主堂』 からの寄り道でしたので、ここへたどり着いたのは、ほとんど夕暮れ時。
暗い写真ばかり掲載しているようですが、日暮れ前の静かなひと時、ともり出す町の灯や、
巣に帰る鳥たちの声、そして私たちのほかに訪れている人も施設の人もいません。
このロケーションを独占できるなんて・・・、ちょっといい気分の散策でした。
 
写真の風景は当地から本土側を見下ろした景色。
歴史のロマンに浸るもよし、只ただ風景を楽しむも、これまたよし、です。
 
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