貝塚といえば、古代のヒトの生活跡、いわゆる遺跡にほかならないのですが、
「縄文時代に食用された貝殻の捨場」 という説明を読むたびに思うのは、何故ある場所に集中して
コレだけのもの(貝殻)を捨てる? ということでしょうか。
「縄文時代に食用された貝殻の捨場」 という説明を読むたびに思うのは、何故ある場所に集中して
コレだけのもの(貝殻)を捨てる? ということでしょうか。
私は東京育ちですので、小学生の頃に千葉県(市川?)の貝塚を訪れた記憶がありますが、
当時子どもであった故の感慨かもしれませんが、そこはかなり広い面積に及ぶ塚原であったような
気がするのに対し、今回訪れたこの御陵貝塚は、民家が散在する小高い台地の中腹に、それこそ
忽然と姿をあらわした、何とも不思議な光景でした。
この貝塚はちょうど宅地のような変四角形の
敷地状で四周を中小の道で囲まれて整備され
ており、その周囲を囲うようなフェンスや生垣は
無く、敷地外周は土波(傾斜面)になっています。
当時縄文時代は舗装道路も無かったでしょう
から、もう少し広範囲にわたっていたのかも
しれませんが、代々この土地の方々が、この
場所を先祖の貴重な遺構として今日まで大事
に残してきたのが、現在見る姿になっているの
でしょう。
現在この貝塚の中にはお宮があり、控えめながら石造のしっかりとした鳥居も建てられており、
ただでさえ不思議な貝塚を、一層ミステリアスな風景にしています。
俯瞰してこの土地を少し眺め渡してみれば、すぐそばには古墳群も控え、縄文の古より続く人里として
九州熊本の歴史を想うに、感慨深いものがあります。
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ところで、貝塚。
よくよく眺めてみますと、白い小さな貝殻に混じり、様々なものが混じっていることに気付きます。
明治昭和のものもあれば、江戸時代のいわゆる古伊万里の破片なども観察できます。
中には通称 ”初期伊万里” と呼ばれる江戸時代初期、17世紀初めの磁器片なども見られ、
個人的にはびっくり。
代々守られてきた場所とはいえ、そこはやはりゴミ捨て場。
人はこれを見て、ここは ”捨て場” であると悟り、安心して壊れた茶碗も捨てたでしょうし・・・
そのように考えると、貝塚も本編とは別の意味で、なかなか興味深いものですね。
現在はとにかく綺麗に整備してありますし、貴重な歴史遺産です。
現代人は、ここにモノを捨ててはいけませんよ、絶対に。