名前を付けてしまったこと

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救出、もしくは自然界から強奪してきた雉鳩の雛に、それがあたりまえのことのように "くーさん" と名前を付けてしまいました。くーさん自身はそう呼ばれても、すぐにリアクションする訳でもなし、相変わらずのマイペースのように見えました。

それでも私たちヒトは "くーさんっ" とか "くーさま!" とか、呼びかけてしまいます。
ふと気付けば、この "くーさん" という名前を覚えるんだよ・・・とばかりに何度も名前を呼んでいます。

くーさんの行動で、それはいつものように大きなサインではないのですが、明らかな変化に気付きました。
それは、ヒトのそばに居ること、でした。
数日はどうも私たちの手の届かない高いところで、または外を見渡せる窓台でじっと世の中を見渡して時を過ごしていたくーさんが、今も、目の前で羽を休めくつろいだ様子でいます。
明らかにヒトに近寄って来ています。

人間はいろいろな "呪" に掛かっているとどこぞの陰陽師の台詞にもありましたが、その代表格が 『なまえ』 であり、それ無しでは心地悪く思うほどです。
"くーさん"という名前を付けられてしまった鳩のヒナと、ためらいもなく名付けてしまった自分。


ヒトに慣れてしまった動物は自然の中で生きていけるのでしょうか?
餌を自分で探すことができるでしょうか?
走ってくる車が危険だとわかるでしょうか。
猫すら友達だと思いはしないでしょうか・・・。


私はある種の動物の持っている 『本能』 を信じてはいます。
それでも、これ以上の交流は厳しい結果をもたらすかもしれません。
厳しい結果はえてして "悲しい結果" となりはしないでしょうか。